アンマーとの思い出3(小学校からの初呼び出し)
最終更新日: 2024年07月22日
43歳になり、ふと自分はどんな小学生だったんだろうか?と振り返ってみた。
確か小学校6年間ずっと半ズボン、裸足だったと記憶している。
逆に言うと、上履きというものを履いた記憶がない。
当時は、割とそういう少年少女がいた。
もっとツワモノは、6年間裸足、半ズボンは当然で、
ランニングで6年間通していた。
再度言っておくが、そこは沖縄ではなく、北九州市だ。
ちゃんと雪も積もる。氷点下に年数日はなる場所だ。
さて、その半袖半ズボン少年の私はいかにも健康そうに思えるのだが、実は小学生時代にのべ3回の入院と、入院日数のべ2ヶ月は超えている。
その1回目は、小学1年生の12月だったと思う。
下校時に学校の門のあたりに、”タイヤタワー”というのがあり、タイヤの遊具が点在していた。そこを飛び跳ねて遊ぶのだ。
だいたい毎日そこに立ち寄って帰るのが子どもながらにルーティンだった。
そして、ある時事件は起きた。
いつも変わらずタイヤからタイヤに飛び跳ねているときに、後ろから押されたのだ。
そして、私はバランスを崩し目の前の土管状のコンクリートで左の頭部を強打した。
気を失ってはいなかったが、とにかく痛くて血が出ていた。
そこからは、もう記憶がない。
友達が職員室に走り、先生を呼んで、救急車を呼んで、病院に運ばれて縫合手術を受けた。
そして、荒巻脳神経外科という名前だったと思うが、その手術中に私のアンマーが来た。
来たことしか覚えてないが、今考えると駆けつけてくれた安堵はものすごかったんだろうな。
また、アンマーも学校から電話がかかってきたときには、尋常じゃない心配をしたのではないかと思う。
また、本人の名誉のために名前は伏せておこうとおもったが私の背中を押した友達の名前も忘れてしまったが、さぞかし怖かっただろうな。あと一緒に遊んでた友達も。
初めてのホラー体験を提供したかもしれない。
2週間くらい入院したかな。
後からきいたが、その入院中は、父の選挙期間の前だったらしくアンマーは、社長業に父の選挙のサポートにてんてこ舞いだったらしい。
傷は何歳になっても残っているが、記憶は薄れていく。
しかし、あの時迷惑かけたなぁという当時の家族や先生や仲間への申し訳なさと感謝はなぜか深まっていく。
この文章を書きながら、実はその前にもう1件、アンマーを震撼させた事件を思い出した。
それは次に綴ろう。
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筆者紹介
名前:いとう
業界歴:13年
趣味:旅行
座右の銘:まくとぅそーけー なんくるないさ
【意味】ちゃんと挫けずに正しい道を歩むべく努力すれば、いつかきっと報われて良い日がやってくるよ)
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